なぜ文章を書けるようになりたいと思ったか

先日、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』山口周著 光文社新書を読んだ。

 

経営は、「アート」「サイエンス」「クラフト」の混ざり合いであり、三者の微妙なバランスが成功か否かを左右するとのこと。「サイエンス」と「クラフト」は言語化でき、再現性があるため、「アート」は押されがちになってしまうとのこと。「サイエンス」重視は、数値達成に重きを置くため、コンプライアンス違反に繋がりかねないので、その点でも「美意識」は鍛えたいものであること。「サイエンス」やクラフトは言語化できるため、真似をされやすい一方、「アート」は世界観やビジョンを描くものなので真似ができない。

著書に「勝ちの不思議はあるが、負けの不思議はない」と将棋士の言葉が引用されており、負ける理由は必ず説明できるとのこと。直感は良いが、非論理的では駄目である。

 

三者のバランスをとるためにも、自分の考えていることを言葉で明らかにする必要性を感じ、まずは文章を書けるようになりたいとこれまで以上に思うようになった。