安全基地

 最近、外出する時間帯が変わったためか、それとも夏休みに入ったからなのか、小学生の男の子とお母さんが一緒にいるところをよく見かける。100円ショップのレジの前、横断歩道で信号が変わるのを待っているとき、小学校の校門の前を通り過ぎた時・・・

 男の子の、お母さんを見る眼が何とも言えない。お友達といる時、学校で先生に見せる顔とは全く違うだろうと直感的に思った。「目の前にいる、自分よりも体の大きい大人が自分を見捨てるはずがない」「どんなことが起きようともこの人は自分を守ってくれる」・・・愛してもらっているといった言葉とは違う、表現しがたい脳幹レベルの深い信頼感を感じた。以前読んだ、岡田尊司先生の『愛着障害~子ども時代を引きずる人々』で知った「安全基地」という言葉がしっくりきた。お母さんは子どもにとって全幅の「安全基地」であり、そうでないとこの後の長い人生、安心感をもって生き抜いてはいけないことを心底感じた。

 幼い時に、虐待がを受けたり、修復しがたい心の傷を受けてしまって「安全基地」が機能しなくなったり、失ってしまった子どもはどんな眼をしているのだろうとも思った。そういう子どもの眼に気づける大人でなりたいとも思った。気づいた後のことは次の自分の課題ではあるが。