海棠桜(かいどうざくら)

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近所に咲く桜に似ているけれど何か違うと思っていた

昨年春、その木が植わっている家の人に名前を聞くことができた

「かいどうざくら」

濃いピンクが何とも言えず愛らしい

阪神大震災の後、小さな苗木を植えたそうです

今は見上げるような木に育った

少し前、いいえこの木がこんなに大きくなるまでの月日は経った

風化させてはいけない思い出を違った形で見せてくれる

しかし

この木は近所の人に邪魔に思われていることを最近聞いた

私はたまにしか通らないから思わないだけかもしれないが、

そんなに邪魔だろうか

阪神大震災を思い出させるのだろうか

見上げて思う

通り過ぎて振り返って見て思う

 

最近は、幼稚園を誘致しようとしても

近所の人が反対するケースが多いと聞いた

子どもの声がうるさいから?

うるさいだろうか?

子どもは泣くもの、大きな声ではしゃぐもの

 

微笑ましいと思えるほどの心のゆとりはどうしたら生まれるのだろう

かいどうざくらの木を見上げながら思いました

もくれんとこぶし

朝の散歩で出会う82歳の女性に

モクレンが咲き始めましたよ

と声をかけると

コブシではないか

と言われた

コブシがモクレン科であることは知ってはいたし、

自分が見ているものはモクレンだとも確信はしていたが

こんなにきっぱりと言い放たれるのも何か意味があると思って調べたところ

私が思っていたのはハクモクレン

ハクモクレンは中国原産で、

花弁は9枚、花弁は厚く太く、チューリップのように上を向いて咲く

コブシの花弁は6枚、花弁は薄く細く、開き切って咲く

ハクモクレンよりも可憐な印象

いずれも恐竜時代から咲いていた花

 

その後、コブシの花を見かけた

阪神大震災の後、このあたりにたくさん植えられたとのこと

ほっそりと、でも凛として咲くコブシの花の方が

戦争をその目で見て、大震災を体験し

背中は曲がって1人では遠くまではいけないけれど

好奇心旺盛のその友人にはよく似合う思った

『おちゃめに100歳!寂聴さん』を読んで

朝のテレビで

瀬戸内寂聴さんと66歳年下の秘書瀬尾まなほさんが話すのを見た。

びっくりした。とても楽しそうで。突き抜けた感じがして。

瀬戸内寂聴さんは好き勝手な生き方をしているからと毛嫌いして

その作品を読んだことがなかった。

でもテレビを見て二人の関係に心動かされ、

まずは瀬尾まなほさんの『おちゃめに100歳!寂聴さん』を買って読んだ。

 

「春の革命」って何?っていうのもあったけれど

元気になる本で、いろいろ考えさせられる本だった。

章ごとで書きたいと思うことはあるが、

全体を通して思ったことは、私はやはり親の影響を強く受けているということ。

母が嫌いと言えば、いつの間にか自分も嫌いだと思って、近づかないようにしていた。

高校時代、太宰治を愛読していたのに、

大学生になって変な倫理観が出てきて遠ざかったことを思い出した。

見ないのに、知らないのに批判してはいけないと思うようになって、

出来る限り、自分の眼で確かめようとしている。

批判して、勝手に決めつけるには私はまだ何も知らなさすぎる。

そんな思いをさらに強く思わせた一冊だった。

 

章ごとはまた今度書きます。

 

岩波文庫「君たちはどう生きるか」を読んで

岩波文庫君たちはどう生きるか」を読み終わった。

漫画は読みやすかったけれど、原作とは違うのだと思った。

当然だけれど。

入門としては漫画版はとても良い。

でも漫画を読んで関心を持った人はぜひ原作も読んだらいいなと思った。

 

映画を作る人についても思うけれど、

原作をそれぞれの形にまとめるのは大変なことだと思う。

その人それぞれの大切にしたいこと、伝えたいことをはっきりさせないと

作品は出来上がらない。

漫画版の最後の場面、

友だちを裏切って、もうだめだと思った主人公が

勇気を振り絞って学校に行くというところが、

現代風のアレンジなのかな。

自分がとにかく行動を起こさないと何も始まらないというメッセージなのかな。

さて自分はどう行動を起こそうか。

 

 

署名について

先日、習い事をしている先生から署名をお願いされた。

意に添わぬと言うと、先生は「実は私もそうなのだけれど

この教室がお世話になっているところなので」とのこと。

思わず笑ってしまって、そんなことで良いのですかと言いながら名前を書いた。

その後、私よりも先輩だけれど私よりも若い人が教室に入ってきた。

その人は断固拒否して、署名しなかった。

 

自分の名前を署名することに責任は感じる。

意に添わぬ署名はしたくないし、断ったことも何度もある。

今回は先生が困るならとも思って名前を書いた。

たくさんの中の一人くらいという思いと

一人だけれどという思い、一人でもという思い

意志をはっきりさせてもさせなくても、目に見えて変わりはしないけれど

ひとり一人が意志をはっきりさせなければ、何も変わりはしないと常々思っているのに

やってしまったと大いに反省。

 

 

あきらめない靴下

昨年12月、終活に余念のない両親へのクリスマスプレゼントを探していたところに見つけた「山忠のあきらめない靴下」

名前にまず惹かれ、その由来を知ってますます気に入って購入。両親からは珍しく「ありがとうメール」がくる。外反母趾のきつい私も試しで履いてみたところ、温かい上、疲れない。阪神大震災メモリアルウォークで雨の中を10㎞歩いたときも、この靴下を履いていたから歩けたのだと思うほど。その後、年配の方への寒い時のプレゼントはこれに限ると思い、いくつ購入したかな・・・

山忠は昭和33(1958)年、雪国新潟の小さな町で生まれた靴下屋さん。4人兄弟が一台の編み機で作った靴下を行商するところからスタートするものの、最初の靴下は「すぐに穴が開く!」と叱られ、丈夫な糸で丈夫な靴下を開発したら「冷たくて履けない!」と叱られ、純毛の温かい靴下を作ったところ「洗ったら縮んだ!」と叱られ、何度も何度も作り直して、ようやく丈夫で温かく「モノがいい!」と評判の靴下ができたとのこと。

昭和60(1985)年でこの靴下は販売終了するものの、平成27(2015)年、「使い捨てが当たり前の現代に丈夫で長持ちする靴下をもう一度復活させよう」と復刻版を作ることになったとのこと。復刻版を作る際には当時のことを知る70歳を超えた大ベテランに協力を依頼したとか。

これまでそんなに意識したことがなかった靴下だけれど、強い思いを感じることができて、足元だけでなく、心も温かくなり、よし私も頑張ろう!という気持ちにさせてくれる。試してみる価値はあります!

 

「漫画 君たちはどう生きるか」を読んで思ったこと

『漫画 君たちはどう生きるか』を読み終えた。とても感動した。嬉しくて仕方がなかった。

嬉しかった点を3つにまとめてみた。

 

①漫画版の裏表紙には「永遠の名作が、80年の時を経て、ついに漫画化!」とあり、帯には「120万部突破!」と書いてある。岩波文庫の帯には「時代を超えて読み継がれるロングセラー」とある。この作品を今の時代を生きる人に注目してほしいと仕掛けた人がいて、そして読んでみようと思う人がたくさんいるということがとても嬉しい。最近出会った「まだ見ぬ人類の良心」という言葉に通じている。暗澹たる気持ちになるようなニュースばかりが目に映るが、それとは違う次元で「まだ見ぬ人類の良心」が確実に感じられた。

 

②コペルくんが約束を守れずに、布団の中で葛藤し、おじさんやお母さんに受け止めてもらいながら、立ち上がった。自分を卑怯な人間だと受け止めることは、もう2度とこんな後悔しないように、次には勇気を出して行動しようと背中を押してくれることに繋がるのだと知った。私自身も失敗を怖がる。失敗してしまったら、なかったことにしようとしたり、自分だけの責任じゃないとうそぶいたりする。しかもほとんど無意識に。自分を卑怯な人間だと認めることは苦しいことだけれど、確かに自分は卑怯なのに、知らんぷりするほうがよほど格好悪いと思った。お母さんが言う「ぐずぐずしてしまった自分が心の中にはっきりと残っていて、そんな自分にお礼を言いたい」という言葉に感心し、私もそうありたいと思った。

どうしてこんなことをしたのだろうと思う人が平気なふりをして見せていても、内面は葛藤しているのかもしれない。表に出せずにいるのかもしれない。責めずに見守ったら、何か変わるのかもしれないとも思った。これはかなり甘い考えだとは思うけれど。そして「見守ること」と「放置すること、無視すること」は似ていて違うけれど。

 

③コペルくんに寄り添う「おじさん」は、今の私よりも若い設定ではあるが、若い人に対して、あんな大人になりたいと思った。そうなるために自分自身もしっかり勉強し、自分で考えて行動できる大人、勇気を出せる大人になりたいと思った。なりたい大人のイメージが少しずつでも明確になるのは嬉しい。

 

まだ読んでいない人、ぜひ読んでみてください。

岩波文庫のほうも字ばかりではあるものの、読みやすいです。