安全基地

 最近、外出する時間帯が変わったためか、それとも夏休みに入ったからなのか、小学生の男の子とお母さんが一緒にいるところをよく見かける。100円ショップのレジの前、横断歩道で信号が変わるのを待っているとき、小学校の校門の前を通り過ぎた時・・・

 男の子の、お母さんを見る眼が何とも言えない。お友達といる時、学校で先生に見せる顔とは全く違うだろうと直感的に思った。「目の前にいる、自分よりも体の大きい大人が自分を見捨てるはずがない」「どんなことが起きようともこの人は自分を守ってくれる」・・・愛してもらっているといった言葉とは違う、表現しがたい脳幹レベルの深い信頼感を感じた。以前読んだ、岡田尊司先生の『愛着障害~子ども時代を引きずる人々』で知った「安全基地」という言葉がしっくりきた。お母さんは子どもにとって全幅の「安全基地」であり、そうでないとこの後の長い人生、安心感をもって生き抜いてはいけないことを心底感じた。

 幼い時に、虐待がを受けたり、修復しがたい心の傷を受けてしまって「安全基地」が機能しなくなったり、失ってしまった子どもはどんな眼をしているのだろうとも思った。そういう子どもの眼に気づける大人でなりたいとも思った。気づいた後のことは次の自分の課題ではあるが。

 

 

 

 

 

冷蔵庫が壊れた!

18年前、結婚した時に買ってもらった冷蔵庫が壊れた。

最初は、冷凍庫に異常が起きた。氷ができない。凍らせたはずのものが凍っていない。

冷凍庫が壊れたくらいなら、まだ使えると思ってしばらく様子を見て、

3日ほど電源を切って霜を取ったら使えるようになったなどの情報をインターネットから得た。せっかくなのでやってみようかとも思ったが、この暑さ、そのエネルギーはなかった。そして電気屋さんに、近頃の冷蔵庫を見に行った。

18年の歳月は、やはり長く、浦島太郎気分になりながら、科学技術の進歩を感じた。

冷蔵庫にたくさん何かを張るのは風水的に良くない・・・一時期、白い色でなくなったけれど、ガラスを使えるようになって白が出せるようになり、そうなるとやはり白が人気がある・・・300リットルレベルより400リットルレベルのほうが電気代は安くなる・・・とか知らないことばかり。結婚してから、仕事が忙しかったので、マイペースで冷蔵庫と付き合ってきたのだなあとしみじみ思った。

 冷蔵庫見学をしてから、やはり18年の歳月を思わざるを得なくなり、購入を決意し、一週間後に再度電気屋へ。欲しいと思っていたものはちゃんと残っていた。

そしてそのときはまだ冷蔵庫は動いていたので一週間後に設置をお願いした。

そして翌日・・・冷蔵庫は20度から下がらない。一週間はサバイバル気分。

氷を買い、アイスクリームを買ってはドライアイスをもらいクーラーボックスに入れながら過ごした。

ちなみにテレビは西日本豪雨の被害が映される。こんなことで大変と思っては罰が当たる、もっと大変な思いをされている方がたくさんおられると思いながら、出会う人にもそう言いながら、ようやく昨日新しい冷蔵庫が到着。

新しい冷蔵庫は設置してすぐに電源が入れられることにまず驚く。業者の方いわく

「今の冷蔵庫はフロンを使っていないので、移動しても泡立たない」

知らないうちにどんどん便利になって、以前あった注意事項は不要になっている。

一方でプリミティブなところでは、多くの人は置いてけぼりという思いが出てくる。

便利ばかりを追求して、そうでなれば不平不満。科学者はそれに応えようとして頑張るけれど、どんどん馬鹿になっているのではないかと少し不安に思う。

新しい冷蔵庫に対し、珍しくまじめに取扱説明書を読みながら、付き合おうと決めている。

高齢運転者マーク(枯れ葉マーク?)

83歳になる父は車の運転免許を手放そうとしない。

生活ができなくなるというのが彼の言い分で、更新の際の認知症のテストはいつも高得点で監督者に感心されると自慢する。

そんな会話が何度となくされて、いつの間にか自動ブレーキがかかる最新の車に買い替えていた。

頑固な父だが、そこまで考えて行動し、誰かを傷つけることはないであろうと私たちは父の運転を認めざるを得なくなった。

 

先日実家に帰った時の父から聞いた話

2か月ほど前から高齢運転者マークを外すようにしてから運転が楽になったというのだ。

高齢運転者マークをつけているときはあおり運転を頻繁にされて、とても怖かったが、

外したらそれがなくなったから運転しやすくなったというのだ。

私は、高齢運転者マークというのは、「高齢者が運転しているから気をつけて」という理由でつけるのかと思っていたが、実際はそうではなかったらしい。

高齢者のドライバーにあおり運転をすることによって高齢者の免許の返却を促そうというのか。

人間の質が下がったと両親が嘆くが、それを否定しがたい話に何とも言えない気持ちになった。

4月9日の「半分、青い。」

4月から始まったNHK朝の連続ドラマ「半分、青い。」

第2週の今日の印象に残ったシーンは、鈴愛ちゃんがブッチャーに投げたゴミ箱が律くんに当たり、病院に行っての待合室のでのシーン。

ブッチャーが友達は律くんだけだと泣き出した。

お金持ちの息子の彼の周りにいつもいる子ども達は自分のお金や珍しいものが目当てでそばにいる。

律くんはそんなものには目もくれない、

本物の友達は彼だけだと大粒の涙をぽろぽろ流していた。

ブッチャーみたいな人も周りにいたけれど、

ブッチャーような人の立場になってみたことはなかったと思った。

 

まだまだ学ぶべきことがたくさんある、知らないことがたくさんある

まだまだ自分中心なんだと改めて思うきっかけになりました。

酸素系漂白剤でワイシャツを煮てみた

テレビだったか、本だったか、記憶は定かではありませんが、

襟ぐりが汚れてしまったワイシャツをきれいにするという方法を知って試してみたいと思っていたところに、捨ててもいいというワイシャツが出てきました。

大きな鍋に漂白剤を入れて20分煮てみました。

少し冷まして漂白剤入りお湯ごと全部、洗濯機に入れます。

適量の洗剤とともに普通に洗濯。

新品同様というわけにはもちろん行きませんが、かなりきれいになりました。

捨てようかと思っていたワイシャツが生き返りました!

本当だったら写真撮っておけばよかったのでしょうが、次回に活かします。

 

昔の人の知恵、研究者の試行錯誤、とても関心があります。

商売優先みたいなものが溢れている世の中に、簡単でお金もあまりかからず、

みんなで共有できることってたくさんあるのだろうなと改めて思いました。

有働由美子さん

3月末で有働由美子さん、井ノ原さん、柳沢さんによるNHKの「朝イチ」が終了した。

最終日に至るまでの引継ぎの見事さは、ただ凄いなと思った。

「~ロス」と言わせない雰囲気づくりがすごい。あんなに気配りができるのはとにかくすごい。

多くの人は自分がいなくなって、深層心理では、無意識では「~ロス」を望んでいるのではないかと改めて思った。

最終日は有働さんの声が出なくなるというアクシデントもあり、話している最中に画面が切り替わるという何とも言えない最後だったが、それもまた良しなのかなと思わせた。(他の番組ではきちんと挨拶をして終わるのを見るばかりなので)

そして昨日の朝刊には、有働さんはNHK退社とのこと。

前日の夜にはニュースになっていたとのことだが、それまでは朝イチ後任の近江さんも含め、多くの人には知られないようにしていたとのこと。

徹底した情報管理にも驚かされた。

始めて見た頃は、何だろうと思わせた人ではあったが、どんどん素敵な面を見せていただき、次はどんなところで変貌を遂げた有働さんに会えるのか楽しみだ。

 

アイデア①

昨日久しぶりに高速道路を走った。

あと少しで接触事故になるのではないかということもあった。

そこで思いついたこと。

前を走るトラックが遅いから、抜こうと思って合図をしたとたん

前の車も追い越し車線に移動して来た。

自分たちの自動車の後ろも私たちを抜こうとしていたらしく、

助手席の私はひたすらヒヤッとした。

トラックの前の自動車が遅くて、トラックが遅かったらしいことが抜いた後にわかったが、トラックはまるで私たちに「私が遅いのではない」と主張しているように見えた。

そこで、自動車の後ろに電光掲示板をつけて、後ろの人にメッセージが送れるようにしてはどうかと考えた。

「前の方で事故が遭ったみたいだから、渋滞しています」

「前の車が遅いから、遅くなっています」

「子どもが寝付いたところだから、ゆっくりめになっています」

高齢者が運転していますから、ご容赦ください」

などなど

「おいこらボケー!!」なんていうメッセージも電光掲示板に出る時には

「何かありましたか?」「不都合が起きていますか?」

など感情そのままではなくて問題解決になるような優しい言葉に変換されて出るとか

自動運転する自動車が安全に走るまでにはまだ少し時間がかかりそうだが、

メッセージを変換するくらいのことはAIにはすぐにでもできるのではないか

運転手は呆れて笑っていましたが、気持ちが和んで運転できると事故も減るのでは?

誰か面白いと思った方がおられたら現実のものにしてくれませんか?